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家庭で作る本格出汁

日本料理の奥深さは、見えないところに宿っている。華やかな盛り付けや洗練された技法ももちろん大切だが、すべての味の根底にあるのは「出汁」という透明な液体だ。昆布と鰹節から丁寧に引かれた一番出汁の香りを嗅いだとき、日本料理の本質に触れた気がする。家庭でこの工程を省き、粉末出汁や液体だしを使うことは多いが、一度本物の出汁を取ってみると、その差は歴然としている。この記事では、家庭でも無理なく実践できる昆布と鰹節の出汁の取り方と、黄金比と呼ばれる配合をご紹介する。

出汁とは何か—和食の魂

出汁(だし)とは、食材から旨味成分を水に溶け出させた液体のことだ。フランス料理のフォン(fond)やブイヨン(bouillon)に相当するが、出汁の特徴はその透明感と繊細さにある。フォンが長時間煮込んで旨味を凝縮するのに対し、出汁は短時間で素材の本来の風味を抽出する。鰹節の主成分であるイノシン酸と、昆布の主成分であるグルタミン酸が合わさると、単独の場合の何倍もの旨味を生み出す。これを「旨味の相乗効果」と呼び、日本料理の科学的根拠のひとつである。昆布と鰹節の組み合わせは、まさに理想的な旨味の方程式といえる。

黄金比の秘密:昆布10g、水1L、鰹節20g

家庭で出汁を取るにあたって、最も頻繁に語られるのが「黄金比」だ。一番出汁の基本的な黄金比は、昆布10g・水1L・鰹節20gである。昆布と鰹節を2:1ではなく1:2の比率にしているのは、鰹節のほうがグルタミン酸とイノシン酸の掛け合わせによる旨味の底上げに強く貢献するからだ。昆布が多すぎると粘りが出て雑味が増し、少なすぎるとコクが出ない。鰹節が多すぎると風味が強くなりすぎ、少なすぎると淡白すぎる。この微妙なバランスを数百年の調理文化が洗練させてきた結果が、この黄金比なのだ。

「出汁は日本料理の空気である。目には見えなくても、確かに料理全体を支えている。良い出汁があれば、調味料は最小限でよい。」—京都の老舗料亭・料理長の言葉

昆布の選び方と保存

出汁用の昆布として最も評価が高いのは、北海道産の真昆布(まこんぶ)と羅臼昆布(らうすこんぶ)だ。真昆布は上品で澄んだ旨味が特徴で、懐石料理や吸い物に向いている。羅臼昆布は旨味が濃く香りも豊かで、家庭の煮物や味噌汁の出汁として使いやすい。利尻昆布(りしりこんぶ)は透明感のある繊細な出汁を出すため、茶碗蒸しや澄んだ汁物に使われる。昆布は湿気を嫌うため、ジッパー付きの袋に入れて冷暗所で保存する。白い粉は旨味成分のマンニトールなので、拭き取らずに使用する。

出汁を使った副菜の数々

丁寧に取った出汁は、野菜の炊き合わせやあえ物など、あらゆる副菜の味を底上げする

温度管理が命:科学的な出汁の取り方

出汁の味を決定づける最大の要因のひとつが温度管理だ。まず昆布を水に浸けるところから始める。冷水に昆布を30分以上浸けておくと、グルタミン酸が効率よく溶け出す。急ぐ場合は常温の水に15分でも可能だが、やはり浸水時間を確保することで出汁の深みが増す。鍋を火にかけ、昆布とともにゆっくり加熱していく。昆布のグルタミン酸が最も溶け出す温度帯は60〜65℃であるため、沸騰手前のこの温度帯に約30分キープするのが理想だ。泡が少しずつ出てきたら昆布を取り出す。絶対に沸騰させてはいけない。沸騰すると昆布の粘性成分が溶け出し、出汁が濁って臭みが増す。

鰹節を加えるタイミングと温度

昆布を取り出した後、火を少し上げて80℃前後まで温度を上げる。この温度帯は、鰹節のイノシン酸を最も効率よく抽出できる温度域だ。温度計がなければ、小さな泡がじわじわと出始めた状態を目安にする。鰹節を一度に加え、2〜3分静かに浸ける。この時、絶対にかき混ぜない。鰹節が動くと細かな繊維が散らばり、出汁が濁る原因になる。2〜3分経ったら火を止め、鰹節が自然に沈むのを待ち、さらし布や和紙フィルターで静かに漉す。押し出したり絞ったりすることは禁物だ。自重で落ちる出汁だけが一番出汁の名にふさわしい。

一番出汁と二番出汁の使い分け

上記の方法で取ったものを「一番出汁(いちばんだし)」と呼ぶ。一番出汁は香り高く旨味も繊細なため、吸い物(お吸い物)・茶碗蒸し・出し巻き卵・煮浸しなど、出汁の風味そのものを楽しむ料理に使う。一番出汁を取り終えた昆布と鰹節を捨てるのはもったいない。再度水を加えて火にかけ、今度はしっかり旨味を引き出した「二番出汁」を取ることができる。二番出汁は味が濃くどっしりとしているため、味噌汁・煮物・麺のつゆなど、他の調味料と合わせる料理に適している。日本料理の「無駄をなくす」という美学は、出汁にも生きている。

伝統的な出汁のレシピ

代々受け継がれてきた出汁のレシピ。文字に込められた知恵は、現代の台所でも生きている

出汁が変える日常料理の格

市販の粉末出汁や顆粒出汁が普及した現代では、「出汁を取る」という行為は特別なもの、あるいは手間のかかるものとして遠ざけられがちだ。しかし、実際に一番出汁を作るのに必要な時間は45〜60分程度であり、作業そのものは難しくない。昆布を水に浸けて火にかけ、取り出し、鰹節を加えて漉す。その工程の中に、日本料理の哲学が凝縮されている。出汁を自分で引いた日の味噌汁は、何気ない朝食を特別なものにする。同じ具材でも、出汁の質が変わるだけでまったく別の料理のように感じられる。出汁のある暮らしは、日々の食事に対する敬意でもある。

昆布水という方法:冷蔵庫で手軽に

忙しい毎日の中で出汁を引く時間が確保できないときには、「昆布水」が便利だ。昆布10gを500〜1000mlの水に入れ、冷蔵庫で一晩浸ける。翌朝には昆布のグルタミン酸が溶け出した上品な昆布出汁ができている。これをそのままお吸い物のベースにしたり、鰹節をくわえて加熱することで一番出汁に近いものが作れる。また、昆布水は飲み物として直接飲む方もいる。ミネラルとグルタミン酸が溶け込んだ昆布水は、うま味ドリンクとして海外でも注目されている。朝の一杯として白湯代わりに飲むのもよい。

実践:週末の出汁仕込みを習慣に

出汁を毎日引くのが難しい場合は、週末にまとめて仕込み、冷蔵庫に保存する方法が現実的だ。一番出汁は冷蔵で3〜4日保存可能だ。また、製氷皿に入れて凍らせ、出汁キューブとして保管すれば2週間程度保存できる。1〜2個を味噌汁や炒め物に使うだけで、料理の旨味が格段にアップする。週末に2Lほど仕込んでおくと、平日の毎朝の味噌汁から夕食の煮物まで十分に使える。この週末出汁仕込みの習慣は、多くの料理家や家庭料理研究家も推奨する方法だ。大切なのは完璧を目指すことではなく、出汁のある食卓を少しずつ日常に取り込んでいくことだ。昆布と鰹節の黄金比を知ったなら、あとは一度試してみるだけでいい。

佐藤 由香里 / Yukari Sato

Recipe Editor

東京・世田谷在住のレシピエディター。料理研究家のアシスタントを経て独立。日本の家庭料理と伝統的な食文化の橋渡しをテーマに、雑誌・WEBメディアで活動。特に出汁や発酵食品に造詣が深い。